「…………だ、ブッダ?
聞こえる? 起きて、ブッダ。」
誰かが呼んでいる声がして、
次に四肢の重さを感じ、ぼんやりと現世を自覚する。
上手く息が出来ぬと、
口からせぐり上げるように呼吸をしている自分に気がつく。
目許がひりひりとした熱をおびており、
横を向いている顔のこめかみを伝うぬるい感触に、
視野が定まらないのは涙のせいだとやっと気がついて。
「……ぁ…。」
視野が暗いままなのは、
螺髪が解けたか、
顔へもかぶさった自分の髪のせいもあったが、
それより何より、明かりが灯されていないから。
イエスに電灯を点ける余裕がなかったからで、
すすり泣く気配に起こされ、
それがブッダの声だと気がついて。
わあと慌てふためきつつ、
そのまま“起きて起きて”と
懸命に呼びかけ続けていた彼だったらしく。
それでも何がしかの明るみがあるものか、
相手や室内の輪郭は見えたし、間近に寄れば表情も拾える。
「大丈夫? どっか痛いの?」
そこが定位置だったというよりも
布団を敷いたら壁際へ追いやられたらしいボックスティッシュ。
長い腕をうんしょと延べて
掴み取ろうとしかかったイエスだったものの、
「〜〜〜。//////」
少しでも離れるのはいやいやと
かぶりを振ったブッダに引き留められ、
しかもそのまま、懐ろへともぐり込まれてしまい。
「ぶっだ…。」
何となく愚図っていただけだったものが、
目が覚めたことで そういうものの輪郭もはっきりするものか。
声こそ圧し殺しているものの、
だから尚更にだろう、何とも辛そうな泣き方をし続ける彼であるのが、
肩や背中の震えを胸元へ直接感じるイエスにも ひりひりと辛くてたまらない。
「どうしたの? 怖い夢、見たの?」
具合が悪いとか どこかが痛いなら、自分からそうと言うはずだ。
イエスが不安がるからと我慢し、悪化させたその結果、
完治まで長引いてしまって却って大変だという理屈くらい、
それは聡明な人なのだ、判らぬブッダではなかろうし。
……それより何より
解脱に至るためにと、
あらゆる苦行に手を出し、片っ端からやり遂げた人。
それのみならず、
仏門の悪魔にあたるマーラから
どんなに恐ろしい幻や悪夢を見せられようと動じなかったという、
それはそれは我慢強く、意志も強靭なはずの彼が。
なのに、どんな夢にか打ちのめされて、
こうまで泣き止まぬという事態には、
嬉しかないがこれまでにも何度か覚えがある。
イエスの至らぬ挙動言動から、どうにも落ち着けぬ想いをしたがため、
どんなに押し隠してもはみ出してしまった不安が見せた辛い夢のせいで、
ひどくうなされた挙句、
今夜のように涙をこぼしたブッダだった晩が以前にも何度かあった。
「ねえブッダ、もしかして怖い夢を見たのかな?」
訊いた途端、肩が震えて嗚咽が高まる。
ああ、そんな風に我慢して泣かないの。苦しいでしょう?
手首? 私の?
ただしがみつくばかりではなく、
背中を撫でようとしたイエスの手を捕まえようとする。
触られたくないのかと思い、引っ込めかかると、
違うとかぶりを振り、
くるぶし骨の浮いたイエスの手首を大事そうに押しいただき、
何度も何度もさすって確かめる彼であり。
「…ブッダ、どんな夢だったの?」
こんな仕草を見せるからには、
やはり自分が原因らしいと、そこはイエスにだって判る。
夢の中に現れた“イエス”が
彼を泣かせるようなことをしでかしたらしく。
だが、
「〜〜〜。」
それを語ろうとしないブッダなのもまた いつものこと。
別人実物の彼を責めるようで気が引けるのか、
それとも他愛ないことなのに泣いてしまう自分を恥じてのことか。
一筋縄ではいかぬ頑迷なところをこういう方向で発揮されてもなぁと、
困ったように眉をひそめてから、
「ねえブッダ。キミ、その夢の通りにコトが運んでほしい?」
優しい丸みをおびた肩をぎゅうと抱きしめ、
耳元へそおと、誰にも聞かれぬようにと小さな声で語りかけ。
「夢ってね、
誰かに話すとそこから解けてしまって実現しないんだって。」
だから、いい夢は話さない方がよくて、悪い夢は…と。
ずんと幼い子供へ言い聞かすようなお説を持ち出すイエスであり。
「……。」
しゃくり上げこそ収まったものの、
溜息のようにつく吐息も切れ切れで、
まだどこか焦燥しきった様子のままの如来様。
何と言っても、螺髪が解けてしまってのこと、
くせのない真っ直ぐな深色の髪が、
優しい肩や背へとすべり降りている様が、
線の細さを感じさせての、何とも言えず頼りなく。
イエスの口説も、ちゃんと聞こえてはいぬものかと案じられたものの、
「…………あ、あの、ね? 」
何か言おうとすると、そのまま思い出すものがあって辛いのか。
口許が引き歪み、深瑠璃の双眸もたちまち潤んで涙に沈み、
瞬きした途端、睫毛も濡らしての ぽろりと大粒の滴がこぼれ落ちたが。
イエスが ぎょっとし
もういいと制すのこそ遮るようにかぶりを振ると、
…それでもその手は、こちらの寝間着の二の腕を掴んだままながら、
途切れ途切れに悪夢の全貌を語った彼であり。
「…そっか。」
罪人のような扱いで、何物かに引っ立てられるようにして
連れ去られようとしていたイエス。
しかも、本人も事情を語ってはくれなくて。
そんな強引な別離が悲しくて、胸が痛くて苦しくて……
「それで泣いてくれたんだね。」
話をするのにと身を起こしたものの、
さすがに少し寒いのでと、毛布を引き寄せ二人でくるまっていて。
そんなせいもあってのこと、
差し向かいでの会話じゃあなく、
懐ろへと抱え抱えられという態勢での聞き取りだったためか。
すん・くすんと小さく鼻を鳴らしつつの訴えは、
イエスにも身に迫っての切実なものとして届いたようであり。
「やさしいんだね、ブッダ。」
たかが夢にとはさすがに言わないが、
詰め寄るブッダへ何も弁解しなかったということは
疚しいことへの覚えがあったイエスだったのかも知れぬ。
だのに、行かないでと泣いたなんてと、
そこへと感に入っておいでらしき彼なのへ、
「当たり前だろっ?」
ブッダはむしろ憤慨しきり。
「だってそんな…イエスに逢えなくなるなんて、そんなの…。」
かつて、人間たちの原罪を贖うためにと磔刑に処され、
今も、愛する者たちの世界に身を置きつつ、
いつか迎える“終末”とやら、
いっそ来なけりゃいいのにと思っているに違いない。
そうまでしてでもと、
愛するもの、大事にしたいものがいっぱいあるイエスであり。
だのに、
“唯々諾々、黙って連れ去られたって言ってるのに、
そんな顔しないでよ。”
何でそんな落ち着いてるの、ただの夢だから?
私を少しでも落ち着かせたいから?
それとも…
「そういうことが起きる場合というの、織り込み済みなの?」
「……っ。」
暗がりの中に変わりはないが、
目が慣れて来たものか、それともこれ以上なく身を寄せあっているせいか、
イエスが虚を突かれたように目を見張ったのがようよう見て取れて。
否定しないということは やはり、
そういう段取りも彼の中にはあるらしく。
「どうして?」
そうまでして誰かを庇うことが、この先に起こるというだろうのか。
もしかしてそれは、
道ならぬ恋に溺れたこの自分が、失道の疑いをかけられたら…と。
それを庇ってという事態のことなのか?
それへそんな覚悟をしているイエスだというのかと、
思っただけで胸ごときつく絞めつけられるような、
そんな苦しい想いをひた隠しつつ、何とか問うたブッダへと、
頬を寄せた温かな胸元を静かに震わせて紡がれたのは、
「だって、私って無力だから。」
裁かれる人も裁く人も、それなりの事情や立場があってのこと。
それがようよう判るからこそ、誰も傷つけたくはなくて。
でも、上手に執り成すための要領なんて知らないから、
だったら、この身を罪人ですと差し出すしかなくて…。
「…っ、だからっ。」
訥々と語るイエスなのを遮って、
違う違うと。
何かを振り払いたいかのように、
ブッダは大きくかぶりを振って見せる。
「君がいなくなっては意味がないんだ。どうして判らないの?」
君は無力なんかじゃあない。
私が攫われても、どこまでも追っかけると言い切ったのは誰?
君の言葉は、教えに限らず、どんな一言でもホントになるんだって判ってる?
それを聞いた人が皆、心から励まされ、立ち上がる力を貰えるからなんだよ?
ただの大言をついてるんじゃないと、
判るからこそ みんな君を信じるし、心底愛してるんだよ?
「大切な人だから、だから…っ。////////」
言いつのるブッダを、それは愛おしいと見やるイエスの表情に、
呑まれたように うううと声が途切れる。
何でも受け入れ、誰をも許してしまう彼であり、
その根源となるあなたの底知れない愛と存在をこそ
皆もまた愛すのだと説いているというに。
こんなときにそれを発揮しないでと、
その寛容な優しさへ あてられかかったブッダ様。
深瑠璃の目許をぎゅむと食いしばり、
負けるものかと何かしらをえいと思い切ると、
「キミからの愛してるに負けないくらい、
私も君のことを ぁ愛してるんだからねっ。////////」
「…………っ☆/////////」
だから勝手は許しませんと、
もはや涙はすっかり止まり、挑むような眸になっていた、
それは頼もしき釈迦牟尼様だったのでありました。
感情的だったり、聡明な理知が優先されたり、
押したり引いたりの とんだ手管争いだったが、
こたびは土俵際での大逆転、
ブッダ様のうっちゃりで
何とか収まったかなということで落ち着いての……さて。
何時なのかも判らぬが、遅い時間には違いないねと、
ブッダが呟いたのをどう受け取ったものか。
「わ…☆」
寄り添い合った格好のまま、
一緒くたに ころんと横になってしまい、
「イエス?」
「さあ寝よう、すぐ寝よう。」
風邪をひいたらどうするのと運ばれてしまい、
適当に引っ張りあげた毛布つきの、
長い腕へと搦め捕られ、懐ろ深く掻い込まれては もういけません。
「〜〜〜〜。///////」
胸元から腰から脚からへ、ひたりと寄り添う肉感やら温みやら。
寝間着越しに肌へと伝わる身じろぎさえ愛しいのに、
ここから、しかも自分から剥がれるなんて至難の業。(もしもし?)
しょうがないなぁとかどうとか、
負け惜しみめいたぶつぶつを零しつつも。
それは素直に、イエスの懐ろ、
二の腕を少し避けた隙間へと頭を落ち着け、
ついでに気を張って螺髪も戻した釈迦如来様。
ちょいと感情的に爆発したせいか、目が冴えているらしく、
しばらくほど もそもそとしていたものが、
ふと、その手をすりすりとイエスの胸板へ伏せたそのまま、
「イエスって、いつも肝心なことを言ってくれないよね。」
そんなことを言い立て始めて。
夢の中で、何がどうしたのかを結局言われなかったのが
どうにも引っ掛かっているらしく。
だが、そんなの夢の話と言い切れぬ前歴もあるからそこは微妙。
行動範囲が予測不能という瘴気の塊が襲い来たおり、
そんな事情で天界に向かいますという一部始終を、
うっかりとブッダに告げなかったという。
今後も引き合いに出されまくりそうな失点を持つイエスなだけに、
「う、うん。言葉が足りてないよね。」
ブッダに甘えてばっかでごめんと、もそもそと言う彼なのへ、
胸元という至近から、むうと恨めしげな上目遣いをするブッダだが、
“でも、ちらと見ただけで、
サラダへのマヨネーズじゃなくて
海苔への小皿と醤油取ってくれるほど
完璧に行き届いてるブッダが相手ではねぇ。”
そこまで極めておいででは、成程 多少はずぼらにもなる…かも?(う〜ん)
「私がどっかへ行く夢が多いんだね。」
相変わらず不安にさせてごめんねと、
此処に及んでもはぐらかそうとするイエスなのへ、
「違う。」
ブッダの声は凛と冴えており、
「これまでの私なら、そう、寂しがってばかりだったけれど。」
今日のは違った。
現に泣いてたくせに偉そうだけれど、
「私、何も出来なかったのが情けなかったし、口惜しくて。」
そう、今宵はあのね? 哀しくて泣いたんじゃなくて。
「立ちはだかった神将の群れごとき、
何で片っ端から蹴手繰れなかったのかなぁって。」
覇気の制御さえこなせれば、
武装なんか怖くはなかったし、力比べになっても負ける気はしなかった。
なのに、体が固まって動けなかったのが、
「そりゃあもうもう悔しくて…っ。」
「あ、そ…そうだったの?」
それはまた、頼もしいにも程があるなぁと。
あんなに儚げに泣きじゃくってた人と同一人物とは到底思えぬような、
強気な発言と毅然とした面持ちとへ、
ややもすると口許を引きつらせかかったイエス様。
頼もしいに越したことはないけれど、
先程のあの不安げだった様子との落差が大きいのが、
却って案じられもする。
無理をしてはないかしら、
甘えにくい方へ方へと、自分を追い込みはしないかな?
言えばまたぞろムキになりかねぬ恐れもあって、
でも気になりもしてと、
そんな複雑さからついつい注視しておれば、
そんな気配が届いたか、
「?」
なぁに?というお顔をされたものだから、
「ああ、いやいや。」
あのね、昨日の出先でね、
人目を気にせず甘えられるから
猫だったらいいのになぁなんて思ったりもしたけれど、
「ネコではキスなんて出来ないし、
ましてや恋人になんて、なれっこないものね。」
「え…?//////////」
ブッダ様が意味を咬み砕こうとした刹那、
並んで横になっていた身がちょいと押されてのころんと返され。
毛布を腕へとからげてマントみたいに背負い込んだイエス様に、
がばぁっと覆いかぶさられ、
「あ…やぁ、んぅ…や…。//////////」
何やら抗いのお声が立ってたものの、
「笑わないでってば。////////」
もうもうもうという含羞みめいた甘い甘い抗議のお声と、
それと裏腹、毛布の端からあふれたは、螺髪に戻したはずの深色の髪。
更夜の暗がりの中で、なまめしくもつややかに躍ってうねり。
遅れて覗いた白い腕が、毛布ごと愛しい人の背中を抱き、
まろやかな指がくっと立ったところで……
窓の外のどこかを猫が通ったらしく
鈴の音がそれは軽やかに、ちりりと走って遠くへ消えた
お題 10 “この世で一番 大好きなもの”
〜Fine〜 2013.11.13.〜 11.24.
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*以上、ねこのきもちで10のお題、でした。
コタツを出すぞという時節ネタと
コタツと言ったら猫?という連想だけで書き始めたという
そんな安直さが祟ったのでしょうか、
ワープロが不具合起こすわ、
腱鞘炎が久々に再発して集中出来んわ、
ロクでもないシリーズとなりました、すいません。
とうとう罰が当たったのかなぁ…?
めーるふぉーむvv

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